「キオラ」とは
ニュージーランドの先住民族マオリ族の言葉で
“こんにちは”という意味
2003.12.3. NEW
NEW ZEALAND には様々な表情があります
街 に行けば スコットランド風の建物
海 には アルバトロス 、ペンギン
森 には太古からの 樹、青い空、白い雲
たくさんの ヒツジ・・・
どの風景も NEW ZEALAND の 風 が吹いていて
それぞれみんな魅力的で
ぼくは好きです
そんな 風 をみなさんにも届けていければと思います
このページでは、NEW ZEALANDのことを紹介します
NEW ZEALANDへの自分の想い・NEW ZEALANDでの出来事を書いてみました
1.はじめてのNEW ZEALAND ・・・
1988年、結婚をしたぼくは妻の「NEW ZEALANDに行きたい!」の一言で、それまで、どこにあるかもよく分からない国に行くことになる。その頃のぼくにっとては、NEW ZEALANDというと、ヒツジ、あとその頃よく着ていたラガーシャツくらいしか思いつかないくらいの印象の薄さだった。飛行機で10時間もかかるし、出来れば行きたくないなぁと、思っていた。押入で見つけた、NEW ZEALANDのページだけ折ってあった旅行雑誌を見るまでは・・・ まあ、せっかくの一生に一度の新婚旅行だからと思い直し、NEW ZEALAND行きは決定する。
その後、旅行会社から送られてきたパンフレットも、ガイドブックも、妻に「見ておいてね!」と言われたのにも関わらずまったく目を通さずに出発日を迎えた。ただ唯一、9日間の北島ドライブということだけは聞いていたので、国際免許証だけは取った。出発する日の夜、成田でNEW ZEALAND航空機に乗り込むと、そこはもう外国だった。その当時は、NEW ZEALAND航空には日本人が1人しか搭乗しておらず、他はすべてNEW ZEALAND人。もちろんアナウンスも英語のみ。中学、高校と6年間も英語を学んだはずなのに、ミルクを注文したらビールが出てきてしまった。はずかしい。やっぱり、国内旅行にするべきだったか? しかし、その後のスタッフの対応など見ていて、言葉は通じずとも NEW ZEALAND 人の親切さはよく分かった。マニュアル通りの対応ではなく、心のこもったものだった。みんなの、笑顔が素敵だった。それが、すごくうれしかった。今思うと、それがぼくの NEW ZEALAND 好きの、始まりだった。離陸してまもなく、機内食を食べた。とてもおいしかった。映画を見た。それでも、10時間はまだたたない。少しウトウト寝ていたぼくは、朝食の用意の音で目覚めた。もう外は、明るくなっていた。あともう少しで、NEW ZEALANDの北島の玄関、オークランドに着く。朝食を食べ終わって、少したったらやっとオークランド上空に。そこから見たものは、緑の大地に無数の動く白い粒。着陸に向けて高度が下がると、それらがすべてヒツジであることが分かった。やっぱり、ヒツジの国か・・・。
空港に到着して、荷物を受け取り入国審査。日本では考えられないような素敵な笑顔の、ちょっと太ったおじさんが、英語で質問してくる。H i ! How are you?から始まって、どこに泊まるのかだとか、旅行の目的だとかを聞いているのであろう、多分。あらかじめ、用意していた答え、sight seeningとか、9Days、などと言って、すんなり入国。今は12月、日本を出るときはものすごく寒かったのに、NEW ZEALANDは初夏。さわやかな風が、出迎えてくれた。もうこの時点で、ぼくはすっかり、NEW ZEALANDが気に入っていたのだった。あんなに嫌がっていたのに・・・この日は、オークランドの街でショピングをしたり、公園を散歩したりした。公園といっても、東京の公園などと違い、きっと東京ドーム何個分とかくらい広い。しかも、ほとんど、人がいなくて貸し切り状態。これが、NEW ZEALANDのメインの街中の公園なのだろうか。12月にふさわしく、NEW ZEALANDのクリスマスフラワー、「ポフツカワ」がいたるところで真っ赤な花を咲かせていた。
そして、NEW ZEALANDの2日目、朝食後、旅行会社の人がレンタカーを持ってきてくれた。車は、三菱ミラージュ。彼女は、「車の使い方を説明するわね」と、もちろん英語で、説明し始めたが、日本車なのでよく知っているとぼくは言った。「それもそうね」彼女は言って、キーと簡単な地図をくれた。「よい休暇を!」と、言って彼女はホテルから出ていき、ぼくたちはドライブをスタートさせるのだった。車に、荷物を積み込んで、ぼくは思った。「今日は、どこまで行くのだろう?」。そう、このときになって、あらかじめ旅行会社から渡されていた旅行のチラシや、ガイドブックに目も通していなかったことを、ちょっと後悔した。こうして、ぼくの初めての海外旅行・初めての新婚旅行・そしてあたりまえだが初めての外国でのドライブが一気にスタートしたのだった。
スタート直後、オークランドの街を抜けてしまうまでは、予習不足はあきらかだったが、その後はずっと一本道。ほとんど迷うこともなく運転できた。しかも、NEW ZEALANDは日本と同じ左側通行、しかも車は三菱ミラージュ、道はすいているし快適そのものだった。途中、トイレ休憩などで
小さな町にたくさん寄った。どこにいっても、日本人ということですごく親切にしてもらった。片言の英語でも、気長に聞いてくれたし、ゆっくり話してくれた。ぼくは、単純なので、こんなに親切な良い国なら将来は永住してしまおうなんて思った。あんなに、来るのをのを嫌がっていたのに。それからもうひとつ、後にNEW ZEALANDを何度も訪れるきっかけになる、大きな出会いがあった。ロトルアという町のある公園で「カウリ」という巨木に出会ってしまったのだった。この木は、マオリの人がカヌーを造ったりするのにも使われるのだが、とても大きい。何人かで手をつながないと幹を一週出来ないし、したから見上げても木のてっぺんが見えない。このとき、いつか、森を歩いてもっとたくさんの木に会いたいなぁと、思った。必ず近いうちにまた来るねと、心の中で「カウリ」の木と約束した。
新婚旅行は、何事もなく(まぁ、多少はあったが・・)終わり、あとにNEW ZEALANDの森への強いあこがれが残った。「どこにあるのか、よく分からなかった国」は、ぼくの第2の故郷と思えるほど好きな国になっていた。その後、東京の人混みの中にいても、NEW ZEALANDことが頭から離れなくなった。そして、NEW ZEALANDはいつもぼくを元気にしてくれた。
2.AKAROA(アカロア)
NEW ZEALANDの南島の玄関口、クライストチャーチから北東へ約80Kmのところにアカロアという小さな港町がある。ここはイギリス人が入植する前に、フランス系の移民によって開拓された場所だそうだ。ぼくがここを訪れたのは、イルカ・ウォチングツアーに参加するためだった。アカロアに到着する手前の海岸で、乗馬の練習をする何人かの人を見つけて車を停めた。雲一つない空と海に包まれて、乗馬をしているのがとても気持ちよさそうだったから。NEW ZEALANDでは、乗馬は普通のスポーツで、Tシャツに短パンで気軽に楽しんでいる人をよく見かける。次回はぼくも、ぜひチャレンジしてみたいと思った。
アカロアに着いて、イルカツアーの出発時刻を確認しに行くと、まだ出発まで1時間以上もある。今回、思いつきで来たのでスタートの時刻を確認してこなかったのだった。
それで、出発時刻まで街を探検することにした。街の一角に繁盛しているパン屋さんをみつけた。ちょうどお腹もすいていたので、ランチはパンにすることにした。お店にはいるとパンのいい香りがぼくを包み、空腹は加速していった。NEW ZEALANDでの、ぼくのおすすめはステーキパイで、どこのお店でも大抵売っていて、しかも安くてボリュームがある。このお店も例外ではなく、空腹のぼくは迷わずこれを買った。その他のパンも、どれもおいしそうだったので、ついつい買いすぎてしまった。空腹の時にフードショップに行くといつもこうなるのだった。焼きたてのパイの中には、サイコロ状のステーキがゴロゴロ入っていて、これととろみのあるキノコのソースがうまく混ざっていて、なにしろもう、おいしかった。海岸線のベンチで1人座って夢中で食べていたら、気がつくと回りはカモメに囲まれていた。本当は野生の動物に餌を与えるのは良くないことなのだが、とてもほしそうな顔をしていたので、パンの切れ端を少しちぎって投げてあげた。カモメは上手にキャッチしておいしそうに食べ、もっとくれと近寄ってくる。そのうち遠くで見ていたカモメたちも移動してきて大変なにぎわいになった。よく見ていると、威張っているカモメが1羽いて、他のカモメをみんな追い払っている。しかし、追い払うことに気を奪われすぎて自分は食べられず、他のカモメにみんな食べられていた。とても滑稽で、でもちょっとかわいそうな気もした。
そんなことをしていると、出発の時刻が近づいていた。走って出発ゲートに行くとすでにたくさんの観光客が船に乗り込んでいた。この日のイルカツアー参加者は約80人くらい。ほとんどの人は2階の外の甲板の上で海を見ていた。ぼくも甲板に出て、紫外線の強烈なNEW ZEALANDの太陽の下、イルカを探していた。間もなく、上空を飛んでいるアジサシを見つけ写真を撮っていると、海面にペンギンがいますとの放送が聞こえてきた。
ペンギンは、世界一小さいブルーリトル・ペンギンだった。それからすぐ、イルカたちが3頭、船に近寄ってきた。しばらくの間、ゆっくりと船の回りで泳いでいたので、船上の参加者たちは大喜びだった。もちろん彼ら以上にぼくも・・・。このあと、鵜(ウ)のコロニーを見たり、再びイルカ出会ったりで、とても楽しい充実したツアーになった。約2時間でツアーは終了し、日焼け止めを塗っていなかったぼくの顔と腕はまっ赤になっていた。これからクライストチャーチに戻ったら、日焼け止めを買おうと思い、アカロアをあとにした。
3.Back-Packers(バックパッカーズ)
Back-Packersと言っても、アメリカンフットボールのチーム名ではない。バックパックを背負う人が利用する宿のことで、個人で経営しているユースホステル、民宿みたいなものである。ベッドと共用のキッチン、シャワーが利用できて、その当時でNZ$12〜NZ$20位(日本円で900円〜1,700円位)で泊まれる気軽な宿だ。Back-Packers(以下B.P)と1口にいってもオーナーによって、1部屋2人〜12人部屋だったり、男女も一緒だったり、きれいだったり汚かったり、シャワーもお湯がちゃんと出たり出なかったり、もう様々である。NEW ZEALANDではB.Pの快適度が載っている無料の小冊子がビジターセンターに置いてあり、Back-Packerたちはそれを目安に泊まるところを決める。もしくは、街で出会った、自分と同じような格好をしている人にお勧めを聞たりもする。
写真のB.Pは、ぼくがNEW ZEALANDのPictonという町で初めて泊まったPICTON Back-Packers。普通はB.Pに到着すると、まずベッドが空いているかどうかと1泊の値段を聞きオーナーにお金を払う。そして、ベッドに自分の持ち物あるいは寝袋を置いて、ここはもう予約されていることを他人に示す。ところが、ここに着いたときは、フロントで呼んでも誰も出て来ない。やっと人が出てきたので泊めてくださいと言うと、ぼくも泊まり客だという。オーナーは?と聞くと、買い物に行っていて夕方には帰ると教えてくれた。B.P初めてのぼくはどうしていいのか分からず、その人が教えてくれたまま寝袋をベッドに広げておいた。(寝袋がなくても布団を貸してくれるところもある)本当にこれで泊まれるのだろうか?オーナーが帰ってき来たときに、そんなの聞いてないから、泊められないなんて言われたら?などと次から次へと不安が沸いてくる。この日の前日はキャビンを借りて泊まったのだが、キャビンといっても物置のようなもので、夜中風が強くその上寒くてよく寝られなかった。今日ここに泊まれなかったら今夜は車で寝るしかない。またゆっくり寝られないなぁ、などと心配をしているところにオーナーの女性(ウエンディさん)は帰って来た。そんな心配はいらないほどウエンディさんはとても親切で、ぼくにキッチンの使い方や、冷蔵庫に買ってきた食品を入れておくときにはこのマジックで名前を書いておくようにとか、シャワーの場所など教えてくれて、“楽しい時間をね!”と言ってまたどこかに行ってしまった。
庭にはテーブルがおいてあり、NEW ZEALAND人たちが楽しそうに話をしていた。みんな、簡単な料理をテーブルに広げ、ビールを飲み楽しそうだった。ぼくは、あまり話せない英語で話しかけ、日本から持参した写真を見せ自分のことを出来るだけ分かってもらえるように努力してみた。彼らは、ぼくの拙い英語も一生懸命聞いてくれ、ぼくに話しかけるときには出来るだけ簡単な単語を選んでゆっくり話してくれた。そのおかげで、何とか楽しい会話が出来た。夕方ウエンディさんが戻ってきて、やっと宿泊料(NZ$15)を払を払うことが出来た。のんびりしたものである。(この後、他のB.Pにもたくさん泊まったが、こんなことはよくあることだった。)
そのあと、街に行ってチャイニーズレストランでチャーハン(英語でフライドライス)とMilk 1Lを買い夕食にしてしまった。本当はスーパーで食材を買って調理して食べると安くつくのだが、この日は移動で疲れていたので自分では作らなかった。こうして、ぼくの初めてのBack-Packersでの1日は終わった。Back-Packersが安くて、楽しいことを知ったぼくはこの後ずっとBack-Packersを利用した旅を続けた。
続く・・・
ここに書いた文章はその当時のことを思い出して書いています
文法的な誤りなど多々あるでしょうが、ぼくのNEW ZEALANDへの想いを優先して読んでいただけたら幸いです
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